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ザ・インタビュー The Interview
新婚さんいらっしゃいの宿

大衆演劇の劇団の旗揚げ、夫婦共演の太鼓、そして社員によるバンド「Shinesシャインズ」の結成。ユニークな試みで、ホテ ルの利用客を楽しませ、地域を元気づけてきた、女将の高橋美江さん、副会長の幸男さん夫妻。ホテル経営は決して順風満帆であったわけではない。
でも、二人三脚の歩みは、常に前向きで、笑いが絶えない。まずは〝芸歴〞の原点ともいえる人気テレビ番組『新婚さんいらっしゃい!』出演の時のエピソードから。
「小さい頃から見ていた番組。結婚したら、絶対出演してやろうと思っていた」
独身時代「ものまね」や「のど自慢」など数多くの番組に出演し「テレビ荒らしだった」という幸男氏。新婚旅行の出発当日に番組出演のオーディションの書類を提出した。番組出演は1992(平成4)年10月。そして、ホテルサンシャイン益子舘の開業が、その一ヵ月前だった。美江さんは開業と同時に女将となった。幸男氏は益子舘を傘下に置く㈱サンシャイン鬼怒川の副社長であり、益子舘の実質的な責任者という立場だった。
幸男氏には経営者としてのしたたかな計算もあった。「テレビで、『益子舘』の名前をかなり宣伝させてもらった。全国的には知られていないネームバリューのない益子に旅館があることを知らしめたいという思いがあった」
鬼怒川のような温泉地ではない〝平場〞の温泉旅館を、いかにア ピールできるか、それは、いまなお益子舘のテーマでもある。『新婚さんいらっしゃい!』では、幸男氏の軽妙な受け答えが好評だったのか、平成十年までに計五回も出演。益子舘は、「新婚さんいらっしゃい!の宿」として評判を呼んだ。
大衆演芸でまち起こし

1994年、益子舘を拠点に素人劇団「益子座」を結成した。座長の幸男氏には「大衆演劇で町おこし」との想いがあった。団員は近隣の町から十五人ほど集まった。大半が演劇は初めて。小屋としてホテル併設の温泉健康センターを演芸場として改装した。旗揚げ公演は、栃木県栗山村(現日光市)に伝わる民話を題材に、団員自らが手作りで脚本・脚色を手がけた。幸男氏は「『新婚さん』のネタが切れてきたので、そろそろ何かをかまさなければと思った」と当時の心境を冗談交じりに語る。
この年は、お客様から要望の強かった太鼓演奏に夫婦で取り組んだ。中学校時代ブラスバンド部で小太 鼓を経験した女将も、幸男氏とともに大太鼓のバチを握った。「プロを招くには経費がかかる。だったら俺たちでやっちゃうべと。私もドラムを多少嗜んでいたので、すぐにできてしまった」と、幸男氏は豪快に笑い飛ばす。とにかく思いついたことは後先を考えず、まずやってみる。その潔さが心地良く伝わってくる。宴会のアトラクションで「夫婦太鼓」を披露した。
当時、新聞記者の取材に対し女将は、「夫は私のなかにあるものを引き出してくれる。女将業も太鼓も、最初は不安でしたが、いまはやっていて楽しい」と答えている。
お笑いの修行

幸男氏は、関西の観光地、南紀・白浜で旅館業の修業を積んだ。その間、お笑いの吉本興業が運営する『梅田花月』の裏方の仕事も経験。「花月の仕事も修業なんですよ」と微笑む。
なるほど、その時の経験が人を楽しませるための企画力を育んでいた。旅館経営に役立っていることは間違いない。当時培ったノウハウと人脈を駆使して『吉本バラエティショー』や『マツケン・サンバ』が大ヒットし、人気絶いただにあった松平健のショーを商品化し販売した。「『新婚さんいらっしゃい!』も劇団も、太鼓もそうです。立ち上げることができても、それを仕掛ける人がいないと上手くいかない。確かに人を呼び込むきっかけにはなる。でも経営的な利益にはつな がっていかない。プロモーションする前にマーケティングする人がいないとね。利益のことばかり考えていたら、こうしたイベントはできません。まあ、お客さんや地域の方々には喜んでもらえたので、地域貢献、社会貢献にはなったと思いますよ」
2006年、益子舘は㈱ホテルサンシャイン鬼怒川から独立、女将が社長に就任した。これを機に、幸男氏は表舞台から一歩下がり副会長として女将を見守っていくことになる。「これからは女将の時代。裏方に回ろうと思った」と幸男氏は話す。
社員バンドShinesデビュー Employee Band "Shine's" Debut
ホテルの社員のバンド

「今年の正月、益子舘に新たな芸暦が加えられた。ホテルの社員によるバンド「Shines」のデビューである。女将はドラムの担当になった。
前年11月、女将は、バンドマスターで事業本部長の前原敏男氏から「女将、バンドを組みましょう!!」と言葉を掛けられた。「『えっ、何を考えているの』と最初は思いました。そのうち事務所に楽器が運ばれてきました。会社の景気も大変だから、みんな楽器は自分で買っていたんです。
やがて『女将、ドラムをやってください』といってきました。『えっ、嘘でしょう』って、まだ本気にしなかったんです。楽器の数がどんどん増えていって、歌専門のボーカルの女の子までエレキギターを買っていることを知って『ああっ、みんなヤル気なんだ。じゃあっ、分かった。私はドラムね』ってなりました。ドラムはメンバーに頼んでインターネットで探してもらいました。『私のお小遣いで買うから、会社じゃなくて、私に請求してね』と。それがきっかけでした」。
女将は、勤務年数が長く苦楽をともにしてきた前原本部長が「バンドを結成しよう、と思った心境を察することができる」という。「前原さんは、口に出していいませんが、大変な時代になっちゃったけど、自分たちの手でお金をかけずにできることがあるんじゃないか、と考えたんだと思います。益子舘を愛する想いですね」
デビューを飾ったShinesは、八月から奇数週の土曜日にロビーコンサートを開くまでになる。「演奏の舞台に立つと、緊張や焦りもメンバーみんなで乗り越えていることに気づきます。同じ空気感を味わっていると『仕事でも助け合わなくちゃいけないよね』という気持ちが、不思議と自然に出てくるんです。それがメンバーの間だけではなく、社内全体に広がっていくようにしたいなって思います。
副会長からも『メンバー同士だけで仲良くやっていては、他の社員が違和感を持ってしまう』と指摘を受けます。そういうことを心に留めながら、参加者が増えていくように していきたい」。「最初は半信半疑でしたがバンドをよく立ち上げてくれたなという思いをしています。夢にも思わなかったようなことができてしまっている。音楽が好きで、心のどこかで思っていたことが、現実化しているのかなという感じはしています」
ここまでの15年これからの15年

高橋夫妻は、益子舘の前身である益子焼温泉健康センターの開業から二〇〇六年の㈱ホテルサンシャイン鬼怒川からの独立までを「これまでの十五年」と呼び、独立からを「これからの十五年」と表現する。
現在は、「これからの十五年」の四年目である。 独立と共に社長に就任した女将の、いまの想いとは――。
「仕事の現場では、いろいろな問題があります。人間同士がぶつかり合いながら、それを一つひとつ解決していくなかで、私も含めて社員それぞれが変わっていく、勉強していく。そういう変わっていく姿を見られることが、すごく嬉しいんです。益子舘は、そういう場所であればいいと思います。
益子舘に関わる人たちが、ただ仕事をしに来るだけではなく、お客様に満足していただくという大きなテーマに向いながら、いろいろなことを学んでいける空間であってほしい。学ぶことを通して幸せを感じてもらえたらいいなと思います。それぞれ困り事があっても、それはその人にとって必要なこと、意味のあることだと思うので、時にはへこたれることもあるけど、頑張って行こうよと。
また元気になってってもらいたい。そういうことを、すごく思うようになりました。何があってもへこたれず、とりあえず前を向いて明るく、元気に行こうよってね」。「お客様から見ても、社員から見ても、女将はそうあってほしいと想像するであろう姿、みんなが心地良く思ってもらえるような自分の姿を見せていきたい。じゃあ、自分に何ができるかというと、何にもできないのですが、とりあえずは困難な方を選択して、行動するように心掛けています。そして何かあったときに悩みを聞いてあげて、その人が少しでも元気になってくれれば嬉しいですね。
社員研修など、新しく来ていただいた総支配人が、後ろからしっかりフォローしてくださいます。自分がやりたかったことが、実現し始めているという手応えを感じています。毎日、勉強させていただくことがあり、そのことへの感謝の気持ちを忘れないでいたい」。「時間のあるときは、いろいろなところに行かせてもらっています。いろいろな体験をして、自分が本当にいいなと思ったものを記憶に残し、ある時期、それをカタチにできたらいいなと思っています」。
プロデューサーの血が騒ぎだす

ところで、裏方に回っていた幸男氏のプロデューサーの血がまた騒ぎ始めている。
幸男氏にそんな思いをさせているのは「コーヒーカラー」というデュオが歌う『人生に乾杯を!』という曲である。居酒屋で偶然に耳にし、すっかり気に入ってしまった。「挫折した男が、再び頑張っていこうとする姿を歌っている」という。現在、この曲をテーマに したプランを企画中だ。
Shinesがコンサートの最後に演奏する『人生に乾杯を!』は、次の一節で終る。
いつの日か夕焼けの帰り道 眩しげに振り返る我が道に 人生に乾杯を!
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